保毛尾田保毛男は人権問題か

フジテレビで保毛尾田保毛男が十数年ぶりに登場し騒動となったのは記憶に新しい事ですが、一部のLGBT団体が抗議し人権問題として取り扱うまでになりました。

自分自身もゲイですが、今回の騒動に関しては人権問題と言うより物事の分別がつかない大人たちが配慮を忘れてしまっただけとしか思っていませんでしたが、思った以上に炎上してしまった事に驚いています。



知っている方は知っていると思いますが、ホモという表現は今では蔑称の一つになっており、昔の看護婦さんという表現が男女共同参画の観点から看護師に言い改められたのと一緒で、現在ではゲイと言う表現に変わっています。

LGBTはレズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの頭文字をとった表現であり、一部の方からは蔑称であるホモという言葉が入った保毛尾田保毛男はLGBTの方々を揶揄したものだと批判が起きました。

個人的には懐かしいキャラが出て来たなくらいにしか思っていませんでしたし全てのゲイの方々が批判的に捉えたとは思っていませんが、時代が時代ですし言葉狩り的な反応を示す方々もいるなかでの再登場はタイミングが悪かったのかも知れません。



レインボーフラッグ




そもそも人権問題は該当する人の生命や財産が失われる危険性があるか失われた時に発生する問題だと個人的には認識しています。財産には金銭的なものだけで無く人としての権利なども当然ながら含まれます。

ゲイやおネエは良くてホモやオカマだと人権問題になると言うのは極端に感じます。いつ誰が決めた事なのかは知りませんが、世界的なダイバーシティーの流れに自分は乗っているという自己満足でしょうか?

今回はテレビで放送された内容だっただけに騒動になりましたが、現実社会では未だにホモやオカマと言う方々は多くいます。典型的な女性問題と同じで何かしらの偏見や差別意識を持った方々がまだまだ世の中には多いだけの話だと思います。

こんな表現はアウトでこれなら良いとか、こんな事をすればダメでこれなら許されるとか、そんな事を考えたり議論したりしているうちは何も進歩しないと思っています。

男性だろうが女性だろうが同性愛者だろうが外国人であろうが人は同等の権利を持っているし、配慮しなければいけない部分は積極的にサポートしてあげるだけで何も問題は起きないはずなのですが、なぜか人は蔑みあい自分たちに都合の良い権利を主張するからこそ人権問題というものが生まれているような気がしてなりません。



いろいろな分野で社会的少数派の集団をマイノリティーと言いますが、社会的弱者としてマイノリティーと称する方々もおり、その考え方には個人的に否定的です。

なぜなら自分たちは少数派であるが故に弱者だから特別な配慮をしてくれという考え方に安易に結びつき兼ねず、それこそ社会的な対立や特権を求める動きになり兼ねないからです。

現在のアメリカ社会でオルト・ライト(オルタナ右翼)が台頭してきたのも、マイノリティーが社会的弱者であるから守らなければいけないという考え方やダイバーシティーに寛容になり過ぎた事などにうんざりしてきた白人の集団が、白人ナショナリズムに傾倒し注目を浴び始めました。

マイノリティーは社会的弱者の側面もありますが、あくまでも社会的少数派の集団であり決して弱い訳ではありません。

社会的多数派であるマジョリティーと社会的少数派のマイノリティーが共存共栄できる社会こそが理想であり本来のダイバーシティーでは無いのかと思います。



自分も子供の頃にホモやオカマと言われイジメられた頃がありましたが、それを逆手に取る方法を身に付けたし強く生きる術を学びました。

それが出来ない方にはホモやオカマと言われ事がどんなにツラい事かも分かりますが、世の中には偏見や差別意識を持っている方々はいるし逆に配慮してくれる方々もいます。

一人の人がお互いに人と人の関係を築ける社会になる事を切に願いたいと思います。
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