人生と言う名の旋律

バロック音楽の演奏形態にはいろいろなものがあり、その中で有名なものの1つに通奏低音という形式があります。これは楽譜通り演奏する低音旋律楽器と和音の出せる楽器を使って演奏されます。

○低音旋律楽器
チェロ、コントラバス、ファゴット、ヴィオラ・ダ・ガンバなど

○和音の出せる楽器
鍵盤楽器・・・パイプオルガン、チェンバロなど
撥弦楽器・・・ハープ、リュートなど


音楽と名のつくものには基本的に楽譜というものがあります。しかしこの通奏低音では低音旋律楽器用の楽譜しか無いのが通例。では和音の出せる楽器の楽譜はどうなっているのでしょうか?



○Vivaldi – Concerto for Two Violins in A Minor RV522




答えは単純で、和音の出せる楽器の楽譜は無く、通常は全て即興で演奏されます。この和音を即興的に付けて演奏する和声化の作業をリアライズと言い、演奏者の力量が問われ、裁量に委ねられる部分がとても大きいものです。



楽譜に記された譜面が人生という流れだと置き換えて考えてみよう。そうすると、和音の出せる楽器の演奏はその人自身の生き方に見えないかな?

この世に生まれ、学校に通い社会人になり人生の終焉を迎える。それまでの生き様が楽譜に記された固定的な流れ。つまり譜面に記された低音旋律楽器の楽譜の流れに似ています。普段の何気無い生活での出来事などなど・・・。

でも、現実は自分でも予測できない変化があるのが毎日の流れ。それは和音の出せる楽器によるリアライズに似ています。決まった流れに従って生きているように思える人生ですが、実際は誰もが知っている通り違います。それに1人1人が全く同じではありません。1人1人によって異なり、それぞれが欠けても完成しない。それが人生の流れに似ているような気がしてなりません。



通奏低音という音楽形式は、同じ演奏者でも演奏の度に異なる演奏をします。基本となる旋律は一緒だけど、表現の仕方が違いそれぞれに味がある。音が途切れても欠けても音楽として完成しない奥の深い演奏形態であり、それが人の生き方・・・つまり人生に似ているなって最近思うようになりました。

楽譜の終わり・・・つまり人生の終焉を迎えるその時まで、素敵な人生を送りたいものです。固定化された流れと予測できない流れ。誰にでも起こりうる予測できない流れは、考え方を変えると自分で作りかえる事ができるって事にもなります。毎日がつまらなければ自分で楽しくすればいい。今の状況から抜け出したければ自分で行動を起こせばいい。1人1人が自分の人生を作り上げる事ができるはずです。



ただ・・・ほとんどの人がそれをしないだけ。一度きりの人生です。自分色の楽しい旋律を生み出して豊かな人生を送りたいものですね。
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